毎日思考する!

英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたまでの経緯を何回かにわたり書いてきました。

この一連の私の生き方で培ったもののなかで大きな部分をしめているのは、

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

という考え方です。

先日の記事では、→「プラスの習慣を形成する!」ということをお伝えしました。

この記事では、モチベーションをあげるために必要な要素として、「毎日思考する。」を取り上げます。

「毎日思考する!」

「毎日、自分の目標や目的について考える。」という習慣を持つにはツールが必要です。

私が用いたのは手帳です。

見開きで1か月を見ることができ、予定をある程度書きこめるスペースがあるタイプの手帳です。

達成したい目標の期限から逆算して、小さな目標について期限を設けて実際に行動します。

これを期日行動と言いました。

期日行動の期限をこの手帳のように書き込みをしておいて、毎日手帳を見るようにします。

毎日手帳をみていると、小さな目標の期限が記憶されます。

そうすると、通勤通学時などの時間で具体的に何をどこまで済ませるかを考えることができます。

具体的な行動をイメージすることができれば手帳に書き込み、小さな目標の期限までに終えるように実践行動します。

小さな目標に対して期限を設けて具体的な行動をイメージすると、自然と1日の予定を具体的に考えるようになります。

まずは1時間単位で1日の予定を組むことをお勧めします。

例えば、12時~13時に昼食をとると決めると、その前3時間(9時~12時)と後4時間(13時~17時)が仕事・目標に関係する行動の時間になります。

帰宅後の時間も目標に関係する行動の時間にあてられますが、まずは日中の時間帯で考えましょう。

午前の3時間を1時間単位で区切れば、3つのことを予定することができます。

午後の4時間では4つのことを予定できます。

つまり、自分の仕事を7つに分けて時間を割り振ることができます。

夜寝る前に、明日やろうとする仕事の優先順位を考えながら、7つに振り分けます。

振り分けた予定を手帳のスペースのページに書き留めておきます。

これを行うことで、次の日のイメージトレーニングができます。

次の日は、なるべく予定に沿うように行動します。

もちろん、突発的な仕事がはいることがありますので、予定通りにいかないこともよくあります。

それはそれでいいのです。その日の終わりに、1日を振り返ります。手帳を見ながら、何ができて何ができなかったかを振り返ります。

振り返りをすることで、気づき力が高まり、生活と仕事の質が向上し、 同じ失敗をしないようにできます。

これを毎日手帳に書き込んでいき、日々の成功や達成を文字にして書き貯めていきます。

すると、自然と自信を獲得していけます。

・目標を達成しているイメージがあったこと

・なにがなんでも留学するという勝利意識があったこと

・プラスの習慣を形成することができたこと

・目標達成に向けて毎日思考できたこと

まだまだモチベーションを上げるための行動はあります。次回もモチベーションを上げるための方法を紹介したいと思います。

2020年2月12日更新

プラスの習慣を形成する!

英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたまでの経緯を何回かにわたり書いてきました。

この一連の私の生き方で培ったもののなかで大きな部分をしめているのは、

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

という考え方です。

先日の記事では、→「勝利意識」ということをお伝えしました。

この回の記事では、「プラスの習慣を形成する!」にフォーカスを合わせます。

「プラスの習慣を形成する!」

私たちの意識は、3%の「顕在意識」と 97%の「潜在意識」で出来ていると言われています。

すなわち、私たちの行動や考え方の多くは、「無意識のうちに=習慣として」行われているということになります。

まだ活用されていない潜在意識を使うためには、ルーティン行動を毎日継続し、習慣になるまで(つまり無意識のうちに出来るようになるまで)繰り返すことです。

目標を達成して結果を出す人は、

・「いつまでに、何を、どうするのか」という期日を決めた行動=期日行動

・毎日成果(目標達成)につながるための行動=ルーティン行動

を自分で決め、やり遂げようと取り組んでいます。

どちらの行動も、目標達成には欠かせない行動ですが、プラスの習慣を形成するために必要な行動は、後者の「毎日成果(目標達成)につながるための行動=ルーティン行動」が大きな役割を果たします。

私の場合で言えば、留学希望の大学が提出を求めているTOEFL iBTのスコアをクリアするためのルーティーン行動は、「1日2時間勉強する」でした。

当時は子供も乳飲み子であり、寝かしつける役割が私にはありました。

20時くらいには寝かしつけ、その後はカミさんがテレビを見て自分の時間を過ごす時間帯です。

その間に私は風呂に入ったりして気分転換します。

カミさんが布団に入るのが23時前ですので、23時から私の時間になります。

そこから2時間集中して英語を勉強しました。これを毎日続けました。

家族で帰省したときも勉強のための本を持参し、家族が寝静まった頃に2時間勉強しました。

子供が肺炎で入院した時も勉強のための本を持参し、病棟の就寝時刻を過ぎてから2時間勉強しました。

毎日2時間英語を勉強することが習慣となりました。

習慣になると、勉強をしない日があると逆に不安になる感覚がありました。

このように目標達成に関係するプラスの習慣を形成することが、目標達成のために必要な要素であることが分かるかと思います。

 

・目標を達成しているイメージがあったこと

・なにがなんでも留学するという勝利意識があったこと

・プラスの習慣を形成することができたこと

まだまだモチベーションを上げるための行動はあります。次回もモチベーションを上げるための方法を紹介したいと思います。

 

2020年2月12日更新

なにがなんでも留学する!

英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたまでの経緯を何回かにわたり書いてきました。

この一連の私の生き方で培ったもののなかで大きな部分をしめているのは、

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

という考え方です。

先日の記事では、「目的がモチベーションとなり、目標を達成しているイメージができていた!」ということをまずお伝えしました。

次に大事な考え方が「勝利意識」という思いです。

「勝利意識」

「勝利意識」とは、「成功や達成に対する強い思い」と言えます。もう少し具体的に表現すると、「どんな困難や逆境でも乗りこえる強い「忍耐力」や「意志の力」、また目標に対して「なにがなんでも」という強い思い」と言えるでしょうか。根性論では決してありません。

なにがなんでも留学する!

周囲に公言することはあまりしていませんでしたが、心の中で「なにがなんでも」という強い思いを持ち続けました。

「敗北意識」という言葉があるとすれば、「TOEFL iBTのスコアがまた基準点に届かなかったけどまあいいや。」という意識でいるのと、「勝利意識」をもって、「TOEFL iBTのスコアがまた基準点に届かなかったけど、なにがなんでも留学したいから次頑張るぞ。」という意識でいるのとでは、次に取り組む行動に違いが有意にでます。

この強い心をもって「勝利意識」を自覚していることが、モチベーションの維持または向上に役立っていました。

大学病院をわざわざ辞めて、留学するために英語を勉強していることに関して、知人の奥さんから、「大変じゃないですか?」と何気なく聞かれました。

でも、大変だと思う気持ちは何一つありませんでした。

なぜなら、学びたいものに向かって頑張っているのですから苦にならないのです。

・目標を達成しているイメージがあったこと

・なにがなんでも留学するという勝利意識があったこと

まだまだモチベーションを上げるための行動はあります。

次回もモチベーションを上げるための方法を紹介したいと思います。

2020年2月12日更新

期限(期日)を設けて目標を決める

英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたまでの経緯を何回かにわたり書いてきました。

この一連の私の生き方で培ったもののなかで大きな部分をしめているのは、

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

という考え方です。

このブログを読んでいただいている皆さんも、過去にいろんな目標を立てたことがあると思います。

すこし振り返っていただきたいのですが、立てた目標が例えば10個あったとした場合、そのうち何個の目標を達成出来ましたか?

つまり何%の達成率なのかですね。

ここに興味深い研究報告あります。

2007年にイギリスで行われた研究では、元旦に目標をたてた3000人を追跡調査したところ、52%の人達が目標を達成できると自信を持っていたにも関わらず、「目標を達成することができたのはわずか12%の人達だった」という報告です。

つまり、大部分の方々は目標を達成できずに人生を送っているとうことです。驚くべきデータですね。

このブログで、私が英語についてのブログを書くことになった経緯を、自分の人生を振り返りながら述べてきました。

その一連の経験から、「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」という考え方が生まれたのですが、もう少し自分の過去の経験を振り返ると、一つの共通点に気が付きました。

目的がモチベーションとなり、目標を達成しているイメージができていた!

言い換えれば、私は結果を出すことを最初に決めていたといってもいいかもしれません。

目標を達成して成功するためのシナリオ・ストーリーを持っていたのです。

また、「何のためにその結果を求めるのか」という強い目的意識がありました。そうです、

「何のために」目標を達成するのか!

目的意識は、目標達成に向かう過程でのモチベーション維持に大きな役割を果たします。

「目的」と「目標」は同義語ではありません。

「目標」を達成するためのモチベーションになるのが「何のために?」と考えること―これが「目的」です。

私の例でいえば、英語を勉強することの重要性に初めて気が付いたきっかけは、カナダにホームステイした時に他国の若者と交流したことでした。

「外国人と交流すると、日本にいては刺激できない視野の異なる考え方に触れることができる。」

これがきっかけとなり、「視野を広げるために」という目的がモチベーションとなり、医療職教育を通して学ぶ場を求めて「アメリカ医療職大学院へ留学すること」が目標になりました。

転職してから本格的な英語の勉強をしました。

2年という時間を要しましたが、「留学できる。」というイメージが確かにできていました。

2020年2月12日更新

ネイティブ的な発音に特化した書籍のご紹介

このブログではネイティブ的な発音にフォーカスしていろんな記事を紹介してきました。

皆さんのなかには、なにか参考になる本も手に取って読みたいと思う方もいると思いますので、厳選したものをご紹介します。

ネイティブ英語発音する方法 [ 重田勲 ]

Surviveするための戦略

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

前回の記事では、「目標達成に必要なことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」という考えに基づいて、アメリカ留学の第一セメスターを乗り越えたところまでお話ししました。

第二セメスター、第三セメスターともに、一つの授業に対してハンドアウトを3回は目を通すというルーティーン行動を続けました。

第一セメスター内で定期試験が各教科4回実施されました。

このルーティーン行動を続けたおかげで、順調に試験をクリアしていましたが、何度かfail(基準点を下回ること)したことも事実です。

総合得点として基準をクリアしていれば単位は取得できます。

順調に授業を消化していく中で頭をもたげてくる問題がありました。

それは、第三セメスターを修了した後に始まる1年間の応用実務実習です。

実際に医療現場にでて医療職の訓練を積む実習です。

キャンパス内での授業はなんとか対処できたものの、医療現場となると、他の医療職とコミュニケーションをとる必要があります。

患者さんとも話をする必要があります。

英語が聞き取れませんという状況は極力避ける必要がありました。

この状況でも、「期限(期日)を設けて目標を決めることである。」を実践しました。

つまり、「応用実務実習に出るまでにListeningのスキルをあげる」というものでした。

応用実務実習が始まる時期はすでに分かっていますので、その時期から逆算して、どのようにListeningのスキルをあげるかを考えました。

日本でお世話になっていた英会話スクールのインストラクターに相談したところ、オンラインで個人レッスンができるという提案がありました。

これに加えて、Listeningのスキルをあげるのに適したレッスン(コース)があることも提案されました。

この方策をとることを決断し、毎週レッスンをすることをルーティーン行動にしました。

レッスンで取り上げられた内容は、ネイティブがどのように発音しているかを学ぶというものでした。

毎回のレッスンはいつも新鮮でした。

なぜなら、日本にいた時は全く学んだことのない内容だったということと、ネイティブがなぜ単語と単語をリンクさせて発音するのかが分かったからです。

このレッスンのおかげで、Listeningのスキルが向上しました。

応用実務実習にでると、いろんな人種が医療職として働いていますので、インドなまりの英語だったり、アメリカ人らしい英語だったり、スパニッシュなまりの英語だったりと様々な英語に触れる機会となりました。

レッスンで学んだネイティブ的な発音を、実習中に聞き取ることができた瞬間がありました。

“I asked him.”

「アイアスクトゥヒム」と発音するのではなく、「アイアスティム」と発音しているのです。

“asked“[skt]は3つの子音が並んでいますので真ん中の[k]がドロップします。

また、”him”の”h”はドロップします。つまり、

“I ased im”「アイアスティム」

となるのです。

このようなネイティブ的な発音を知ったおかげでずいぶん聞き取りができるようになりました。このような経験があったので、是非みなさんにネイティブ的な発音を知ってほしいと思い、英語についてブログを書きはじめました。

それをまとめた記事は→こちらです。

英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたまでの経緯を何回かにわたり書いてきました。

この一連の私の生き方で培ったもののなかで大きな部分をしめているのは、

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

という考え方です。

次回からは、「モチベーションをあげるため」にどのような目標を掲げ、どのように期日を設けて、どのように具体的な実践行動に落とし込むかをすこしずつ紹介していきたいと思います。

期限を決めた未来から逆算して実践行動を考えて必ず実践する。

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

→前回の記事では、アメリカの医療職大学院への留学が正式に決まったところまでお話ししました。

「目標達成に必要なことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

留学先の学籍を得るまでの過程を振り返ると、私の考えはこの言葉に集約されます。

大学病院を辞めて転職し、本格的に英語を勉強し始めた時の当初の目標は、「4浪までがんばる!」でした。

まず1年目。TOEFL CBTのスコアがぎりぎり基準に届かないまま出願しましたので結果は不合格でした。

仕事をしながらの英語の準備を実際してみて、正直なところ大変でした。

よって、2年目で目標を変えました。「今年だめならあきらめる!」

TOEFL iBTに移行した時期でしたので、出願の時期に間に合うようにスコアを取る必要があります。

Speakingのセクションをどうしても攻略する必要があったので、→東京にあるTOEFLに特化した学校に期間限定で通うことを決断しました

その結果、Speakingのセクション30点満点のところ19点取ることができました。私としては満足でした。

Writingのセクションの対策として、→テンプレートを覚えて臨むことにしました

Readingのセクションでは、→各パラグラフの最初の2~3行の内容を優先的に理解するスキルを身に付けてスコアアップさせました

Listeningのセクションでは、→論理的な構成で話される講義の内容を、論理的にノートをとる方法を身に付けてスコアアップさせました。→Shadowingも取り入れました

「今年だめならあきらめる!」つまり、期限を決めた取り組みになりましたので、その期限に間に合わせようと自然と自分の行動が決まっていきます。

期限を決めた未来から逆算して実践行動を考えて必ず実践する。

これが功を奏したと思っています。

留学生活が始まってからの問題は、大学から求められたTOEFL iBTのスコアをクリアできるだけの英語力をつけていても、授業についていくことが簡単ではないということでした。

第一セメスターを無事に終えられる自信が持てませんでした。

そこで、「第一セメスターを乗り越える!」という目標を立て、逆算して実践行動を考えました。

・授業前にはハンドアウトをダウンロードできる環境でしたので、必ずハンドアウトに目を通し、意味が分からない単語は事前に全部調べて、全体の流れを把握する。<1回目>

・授業はすべてボイスレコーダーを用いて録音しながら、集中して授業を聞く。ノートはカタカナで書き落とす。<2回目>

・その日のうちに、録音した授業を聞き直しながら、もう一度ハンドアウトに目を通す。<3回目>

このように、一つの授業に対してハンドアウトに3回は目を通すことをルーティーン行動としました。

おかげで、第一セメスターを乗り越えることができました。

→この話は次回に続きます。

目標達成には、期限(期日)を設けて目標を決める。

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

→前回の記事では、大学病院を辞めて改めて正規留学する道を選んだところまでお話ししました。

転職してからは日中は働き、帰宅したら小さな子供二人の世話をして20時くらいまでには寝かせ付け、そのあとはカミさんの貴重な時間なので、カミさんが好きなテレビを見ている横で、TOEFLの勉強をしました。

次の日も仕事がありますので、せいぜい1日2時間くらいの勉強時間です。

当時は、TOEFL CBTが中心でしたが、すこしずつiBTが入り始めた時期でした。

最初は日本語で書かれた本を買って勉強してCBTを受験していました。

定期的に受験の予定をいれました。

受けるごとにスコアは上昇していきましたが、アメリカの医療系大学院が提示するスコアをなかなか超えることができません。

結果、超えることができずに1年が過ぎました。

そうしている間に、TOEFLが完全にiBTに移行してしまいました。

CBTとiBTとでは、評価される英語スキルが異なりますので、勉強方法を変える必要がありました。

iBTでは新たにSpeakingのスキルが試されます。

Reading, Listening, Writingはなんとか自主学習できますが、Speakingは誰かに聞いてもらって、良いか悪いかを知らせてもらわないと改善しないことが容易に想像がつきましたので、近所の英会話スクールにお願いしました。

しかし、インストラクターの先生はネイティブではあるけれど、受験したことがないので細かい指導ができないところが難点でした。

そこで、私は決断しました。

地方都市に住んでいた私は、東京のTOEFLに特化した学校に週末に新幹線で通うことにしました。

このことはこの→ブログの記事に書いています。

→勉強に使う本も英語で書かれたものに変えました。

→使う辞書も英英辞典に変えました。

2年目の取り組みはこのようなことを行って準備しました。

そして、出願の時期に間に合うぎりぎりの日程のiBTで、なんとかスコアを越えることができました。

ぎりぎりの日程でぎりぎりのスコアでした。

この壁を乗り越えるのに2年かかったことになります。

出願の準備の一つに、出身大学の学部長からの推薦書をもらう必要がありました。

卒業してかなり経過していますので、いきなりお願いしても難しいと思われたため、大学病院でお世話になった先生に間に入っていただいてお願いしました。

学部長の先生は快く引き受けていただいたと聞いていました。

出願後、アメリカの大学から面接をするという知らせが届きました。

面接する先生が、ちょうど仕事で東京に来るということでしたので、その日に合わせて新幹線に乗って上京して、新宿のホテルのロビーで会う約束をしました。

面接の日まで、英会話スクールのインストラクターにお願いして模擬面接(mock interview)を3回ほどお願いして準備しました。

面接のときに使ってはいけない表現をこの時学びました。その記事は→こちらをごらんください。

面接の日に実際にお会いすることができ、お話をしました。

大学のプログラムの特徴を聞き、その内容に対する質問をし、約1時間が経過しました。

会話はかみ合っていましたので、とても充実した時間でした。

無事面接を終えて家路につきました。

すごく手ごたえを感じていました。

1時間の面接に耐えうるだけの英語力をつけるのに、仕事をしながらの準備で2年はかかりましたが、気持ちを切らさずに続けてきたことが実った感じがありました。

1か月後、合格の通知が届きました。

正式に留学した時の年齢は38歳になっていました。

つまり、正規留学をしようと決意したのが35歳ということです。

決して若くない年齢でのチャレンジでしたが、この経験を通して一つの考え方が生まれました。

「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」

つまり、いつまでに目標を達成するか、そこから逆算して身近な目標を掲げてそれに向けて準備する。

この考え方は留学してからも実践することになります。

この話は次回に続きます

正規留学する道を選ぶ

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

→前回の記事では、学部生の時にさぼることを覚えてしまったことが原因で、留学するという希望をあきらめたところまでお話ししました。

粛々と修士課程の研究をこなしながら、医療職として病院で働きたいと考えていたので地元の大学病院の実習を受けに行きました。

当時は2週間という短い期間の実習です。

むしろ研修と表現した方が適切かと思います。

短期間とはいえ、とてもやりがいを感じることができたので、その大学病院に就職することに決めました。

病院にも様々な病院がありますが、中でも大学病院を選んだのは理由があります。

大学病院という大規模病院であれば、正規留学でなくとも、海外の研修にいけるチャンスがあるのではないかと考えたからです。

社会人一年目は仕事を覚えることが最優先になりましたので、英語を学習する時間がほとんど取れませんでした。

それでも、いつかアメリカの医療職の実情を見に行く機会がめぐってくると信じて仕事をしていました。

すると、私の人生に転機がが訪れたのは社会人一年目の秋でした。

卒業した大学の大学病院の先生から、大学に戻って医療職の経験を積まないかという誘いでした。

そして、医療職の経験を積みながら学位の取得を目指そうと言われました。

修士課程に在籍して研究の面白さに気が付き始めたころに地元に就職しましたので、また研究ができるという話は魅力的でした。

私は決断し、お誘いの話を受けることにしました。

社会人二年目からは卒業した大学の大学病院で医療職として働きながら、業務終了後は研究室に行き、研究をする日々を送りました。

毎日23時くらいまで病院にいる生活をしばらく続けていました。

このころは研究に関する英語の論文を読むことをよくしていましたが、それ以外の英語に関する学習は特にしていませんでした。

業務と研究が忙しく、余裕がなかったというのが正直なところでした。

それでも、日々頑張っていれば、いつかアメリカの医療職の実情を見に行く機会がめぐってくると信じていました。

その後数年してから、厚生労働省の海外派遣事業が立ち上がり、科学研究費で日本の医療職がアメリカの医療機関に数カ月研修しに行き、またアメリカから日本の医療職の質向上のために高名な先生方を日本に招聘し、講演を聴くという事業が始まりました。

頑張っていればこのようなチャンスが巡ってくるのだつくづく思ったことを思い出します。

私が在籍した大学病院からは、まず教員職の者が派遣に申請して受理され、一年目の事業で一名、二年目の事業でもう一名派遣されました。

三年目から医療職の者に派遣の話が降りてきました。

無論、私は手を挙げました。職場の先輩も手を挙げました。

結果、先輩を先に派遣することに決まりました。

正直なところ、すごく悔しかったです。翌年は間違いなく自分が行けると信じて、その一年を頑張って仕事をしました。

しかし、神様は意地悪です。

先輩の派遣時に諸々トラブルが生じていたため、次年度は私が在籍した大学病院からは派遣の申請を見送ることが決定されました。

大学病院で頑張っている意味を見失った瞬間でした。

このまま大学病院にいても私の希望は達成されません。

可能性がゼロなのです。私は決断しました。

大学病院を辞めて、改めて正規留学する道を選びました。

英語の勉強の時間が比較的取れる仕事に転職しました。

この時から、本格的な英語の勉強をすることになります。

この話は次回に続きます。

日本にいては刺激できない視野の異なる考え方に触れる

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

前回の記事では、大学院修士課程一年次にカナダ・バンクーバーに語学研修に通い始めたところまでお話ししました。

私が所属したクラスは20名くらいでしたが、全員日本人でした。

駅前留学と何ら変わらないと正直思いました。

2週間したら、ドイツ人やフランス人がクラスに入ってきました。

少し異文化を感じることができる環境になりました。

ある日の授業で、「地球が滅亡するとしたら何を一番優先するか?」という問いがネイティブの先生から質問されました。

クラスメートの日本人の多くは、家族・友達・恋人などと答えていましたが、ドイツ人やフランス人のクラスメートは、「神(God)」と答えました。

この瞬間が、私の心に突き刺さることになります。

「国が違うと、こうも考え方が異なるものなのか!」と新鮮で痛烈な感情をもったことを覚えています。

この時の感情は私にとっては非常に強烈なもので、語学研修を終えて日本に帰国してからも、私の心にずっしりと居座りました。

外国人と交流すると、日本にいては刺激できない視野の異なる考え方に触れることができるという貴重な体験が私の心に火をつけました。

それからというもの、海外で学びたいという欲求が日々強くなっていきました。

大学院修士課程の研究に身が入らず、どうにかして海外で学ぶことができないか、または海外で生活することはできないか、日々その方法を模索していました。

それと並行して、地元の英会話スクールに通うことを決めました。

学部生でいたころから、将来は医療職として病院で働きたいと考えていたので、その医療職教育を海外で学ぶことができないか検討し始めました。

すると、アメリカの医療職教育が進んでいることが分かったので、アメリカの大学に留学する方向で情報を集めました。

留学するために必要な資料の一つとしてGPAの提出があります。

大学の学業成績を4段階評価に換算する必要があります。自分の学部生の頃の成績表を引っ張り出して、GPA換算をしたところ、アメリカの医療職の学部が求める最低限のGPAには到底及ばない数字がはじき出されました。

学部生の時にさぼることを覚えてしまったことをこの時ほど後悔したことはありませんでした。

この時点で、留学するという希望をあきらめました。

この話は次回に続きます。