

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。
TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。
ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。
→前回の記事では、大学病院を辞めて改めて正規留学する道を選んだところまでお話ししました。
転職してからは日中は働き、帰宅したら小さな子供二人の世話をして20時くらいまでには寝かせ付け、そのあとはカミさんの貴重な時間なので、カミさんが好きなテレビを見ている横で、TOEFLの勉強をしました。
次の日も仕事がありますので、せいぜい1日2時間くらいの勉強時間です。
当時は、TOEFL CBTが中心でしたが、すこしずつiBTが入り始めた時期でした。
最初は日本語で書かれた本を買って勉強してCBTを受験していました。
定期的に受験の予定をいれました。
受けるごとにスコアは上昇していきましたが、アメリカの医療系大学院が提示するスコアをなかなか超えることができません。
結果、超えることができずに1年が過ぎました。
そうしている間に、TOEFLが完全にiBTに移行してしまいました。
CBTとiBTとでは、評価される英語スキルが異なりますので、勉強方法を変える必要がありました。
iBTでは新たにSpeakingのスキルが試されます。
Reading, Listening, Writingはなんとか自主学習できますが、Speakingは誰かに聞いてもらって、良いか悪いかを知らせてもらわないと改善しないことが容易に想像がつきましたので、近所の英会話スクールにお願いしました。
しかし、インストラクターの先生はネイティブではあるけれど、受験したことがないので細かい指導ができないところが難点でした。
そこで、私は決断しました。
地方都市に住んでいた私は、東京のTOEFLに特化した学校に週末に新幹線で通うことにしました。
このことはこの→ブログの記事に書いています。
2年目の取り組みはこのようなことを行って準備しました。
そして、出願の時期に間に合うぎりぎりの日程のiBTで、なんとかスコアを越えることができました。
ぎりぎりの日程でぎりぎりのスコアでした。
この壁を乗り越えるのに2年かかったことになります。
出願の準備の一つに、出身大学の学部長からの推薦書をもらう必要がありました。
卒業してかなり経過していますので、いきなりお願いしても難しいと思われたため、大学病院でお世話になった先生に間に入っていただいてお願いしました。
学部長の先生は快く引き受けていただいたと聞いていました。
出願後、アメリカの大学から面接をするという知らせが届きました。
面接する先生が、ちょうど仕事で東京に来るということでしたので、その日に合わせて新幹線に乗って上京して、新宿のホテルのロビーで会う約束をしました。
面接の日まで、英会話スクールのインストラクターにお願いして模擬面接(mock interview)を3回ほどお願いして準備しました。
面接のときに使ってはいけない表現をこの時学びました。その記事は→こちらをごらんください。
面接の日に実際にお会いすることができ、お話をしました。
大学のプログラムの特徴を聞き、その内容に対する質問をし、約1時間が経過しました。
会話はかみ合っていましたので、とても充実した時間でした。
無事面接を終えて家路につきました。
すごく手ごたえを感じていました。
1時間の面接に耐えうるだけの英語力をつけるのに、仕事をしながらの準備で2年はかかりましたが、気持ちを切らさずに続けてきたことが実った感じがありました。
1か月後、合格の通知が届きました。
正式に留学した時の年齢は38歳になっていました。
つまり、正規留学をしようと決意したのが35歳ということです。
決して若くない年齢でのチャレンジでしたが、この経験を通して一つの考え方が生まれました。
「目標達成に必要なのことは、期限(期日)を設けて目標を決めることである。」
つまり、いつまでに目標を達成するか、そこから逆算して身近な目標を掲げてそれに向けて準備する。
この考え方は留学してからも実践することになります。
“目標達成には、期限(期日)を設けて目標を決める。” への1件のフィードバック