正規留学する道を選ぶ

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私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

→前回の記事では、学部生の時にさぼることを覚えてしまったことが原因で、留学するという希望をあきらめたところまでお話ししました。

粛々と修士課程の研究をこなしながら、医療職として病院で働きたいと考えていたので地元の大学病院の実習を受けに行きました。

当時は2週間という短い期間の実習です。

むしろ研修と表現した方が適切かと思います。

短期間とはいえ、とてもやりがいを感じることができたので、その大学病院に就職することに決めました。

病院にも様々な病院がありますが、中でも大学病院を選んだのは理由があります。

大学病院という大規模病院であれば、正規留学でなくとも、海外の研修にいけるチャンスがあるのではないかと考えたからです。

社会人一年目は仕事を覚えることが最優先になりましたので、英語を学習する時間がほとんど取れませんでした。

それでも、いつかアメリカの医療職の実情を見に行く機会がめぐってくると信じて仕事をしていました。

すると、私の人生に転機がが訪れたのは社会人一年目の秋でした。

卒業した大学の大学病院の先生から、大学に戻って医療職の経験を積まないかという誘いでした。

そして、医療職の経験を積みながら学位の取得を目指そうと言われました。

修士課程に在籍して研究の面白さに気が付き始めたころに地元に就職しましたので、また研究ができるという話は魅力的でした。

私は決断し、お誘いの話を受けることにしました。

社会人二年目からは卒業した大学の大学病院で医療職として働きながら、業務終了後は研究室に行き、研究をする日々を送りました。

毎日23時くらいまで病院にいる生活をしばらく続けていました。

このころは研究に関する英語の論文を読むことをよくしていましたが、それ以外の英語に関する学習は特にしていませんでした。

業務と研究が忙しく、余裕がなかったというのが正直なところでした。

それでも、日々頑張っていれば、いつかアメリカの医療職の実情を見に行く機会がめぐってくると信じていました。

その後数年してから、厚生労働省の海外派遣事業が立ち上がり、科学研究費で日本の医療職がアメリカの医療機関に数カ月研修しに行き、またアメリカから日本の医療職の質向上のために高名な先生方を日本に招聘し、講演を聴くという事業が始まりました。

頑張っていればこのようなチャンスが巡ってくるのだつくづく思ったことを思い出します。

私が在籍した大学病院からは、まず教員職の者が派遣に申請して受理され、一年目の事業で一名、二年目の事業でもう一名派遣されました。

三年目から医療職の者に派遣の話が降りてきました。

無論、私は手を挙げました。職場の先輩も手を挙げました。

結果、先輩を先に派遣することに決まりました。

正直なところ、すごく悔しかったです。翌年は間違いなく自分が行けると信じて、その一年を頑張って仕事をしました。

しかし、神様は意地悪です。

先輩の派遣時に諸々トラブルが生じていたため、次年度は私が在籍した大学病院からは派遣の申請を見送ることが決定されました。

大学病院で頑張っている意味を見失った瞬間でした。

このまま大学病院にいても私の希望は達成されません。

可能性がゼロなのです。私は決断しました。

大学病院を辞めて、改めて正規留学する道を選びました。

英語の勉強の時間が比較的取れる仕事に転職しました。

この時から、本格的な英語の勉強をすることになります。

この話は次回に続きます。

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