英語で失敗した私がアメリカ留学までできたのは?ー遅刻

私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

前回の記事では、大学院修士課程一年次にカナダ・バンクーバーに語学研修にいくところまでお話ししました。

ホストマザーの車に乗り、ホームステイする家に向かいました。車の中では当然ですが、英語でのやり取りになります。

何を話したかの記憶ははっきりしないのですが、ちょうどJリーグが発足した年だったので、日本でプロサッカーリーグができたことを話したような記憶があります。

サッカーがカナダでメジャーなのかどうかもわからないですが、とりあえずの日本の情報として話したのだと思います。

ホームステイ先に向かう途中で、語学学校への通い方を確認したいとホストマザーにお願いしたところ、ロンズデール・キーと呼ばれる船着き場まで連れて行ってくれました。

そこから先はSea busに乗って向こう岸に渡り、そこからバスに乗りなさいとのことでした。

結局、語学学校までの道のりや通う時間などはわからずじまいでした。

ノースバンクーバーにあるホームステイ先に着きました。

現地の夕方くらいに家に着いたので、ホストマザーが夕食の準備をしてくれました。

夏ですから、家のコテージにあるテーブルに食事が用意されて、そこで話をしました。ホストマザーが、”Simple dinner!”と言ったのを覚えています。

サンドウィッチが夕食でした。

たしかにシンプルだと思うと同時に、20代前半ですのでおなかがすくのではないかと心配になりました。

初めての英語圏での生活が始まったのですが、なんとか意思の疎通はできることにすこし自信をもったことを覚えています。

時差ぼけが激しかったのと、英語で話すことのちょっとした辛さもあり、早々と自分の部屋に入り、ベッドで眠りました。

翌日、家の近くのバス停からバスに乗り、ロンズデール・キーの船着き場に行き、Sea busに乗り、向こう岸までたどり着きました。

しかし、そこからどう行けば語学学校にいけるか皆目見当がつきません。

ちょうど警察官が2名いたので、語学学校の地図を見せて、ここに行きたいと英語で伝えたところ、何番のバスに乗ればよいということがわかりました。

しかし、乗ったはいいけれど、どこの停留所で降りればいいかがわかりません。

地図を頼りにいまバスがどこら辺を走っているかを見極めながら、風景も頼りにして、あるバス停で降りました。

やはり、語学学校の近くのバス停ではなかったようで、なかなか学校が見当たりません。

方向だけはあっているであろうという感覚でひとりで歩いていました。

30分くらい歩いたでしょうか、偶然にも語学学校の看板が見えました。

なんとかたどり着きましたが、30分以上の遅刻です。

授業は始まっていました。

クラスメートは全員日本人でしたが、すでにみんな自己紹介が終わっていたので、私は遅れたことを詫びて簡単に自己紹介しました。

なんとか語学の研修を始められるようになりました。

この時点では、なんとか英語で用が足せるという実感はありましたが、真に英語を身に付けることの重要性に気が付くにはもう少し時間を要します。

→この話は次回に続きます。