英語で大学受験を失敗した私がアメリカ留学までできたのは?ー失恋

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私はこのブログで英語にフォーカスしてお話してきました。

TOEFL iBTの勉強方法や、→中学英語で学ぶ表現を用いてネイティブ的な発音をするためのコツを取り上げてきました。

ここで、なぜ私が英語についてブログを書こうと思ったかを述べるために、自分のこれまでの生き方・人生を振りかえっていきたいと思います。

→前回の記事では大学受験を失敗したところまでお話ししました。

一年浪人生活をしました。

予備校に通って一から学びなおしました。

現役のときに失敗した英語は特に時間をかけて勉強しました。

今では、リスニングの問題が大学受験の英語に入ってきているようですが、当時の受験制度は、共通一次から大学入試センター試験に変わる時期であり、「読解」に力点を置かれているところに大きな違いはありませんでした。

一年かけたおかげもあると思いますが、第一回の大学入試センター試験の英語は一年前の汚名を返上できるくらいの点数がとれました。

しかし、ほかの教科の全国平均点が軒並み高く、例年のボーダーラインがかなり上がった年になりました。

そのため、二次試験に出願しましたが、一校から足切り(門前払い)にあってしまいました。

残る一校は二次試験の配点が高い大学だったため、受験することはできました。

最終的にこの大学に幸い合格できたので、大学生活を始めることができました。

大学一年の教養課程では第一外国語は英語と決まっています。

ネイティブの先生が教える英語のクラスを履修しました。

英語で書かれたアメリカのペーパーバックの教科書を買った記憶があります。

ネイティブの先生ですので授業はもちろん英語です。

聞いて理解できるレベルでは到底ありませんでしたが、「Ku Klux Klan」(白人至上主義団体)のことを取り上げられていた記憶があるくらいで、英語のスキルを身に付けようという考えはこの時点ではまったくありません。

つまり、英語の重要性にまだ気が付いていない時期ですね。

専門教育が始まる大学三年生になると、有機化学や物理化学の教科書は、英語で書かれているものを指定されました。

どちらも分厚い教科書です。

当時の大学の先生は、将来英語の論文を読むことになるから、今から慣れておく必要があるという理由でこれらの教科書が選定されたと言っていたのを覚えています。

クラスメートは訳本を購入して勉強していました。

親からの仕送りが少ない私としては、訳本を買う余裕がなかったので、これらの教科書を使っていました。

理解していくスピードは遅いのですが、なんとか時間をかければ読むことができ、結構楽しいかもっというのが正直な感想でした。

試験の結果、再試験になることもあれば一発で単位が取れることもありました。

多少英語で勉強することの楽しさを感じた感じですが、この時点ではまだ英語の重要性には気が付いていません。

大学四年生のクリスマスときに失恋をしました。

失恋旅行と称して日本からかなり離れたところに行きたいという思いから、翌年度に大学院修士課程一年の夏休みに、4週間のカナダ・バンクーバーへの語学研修に申し込みました。

この話は次回に続きます。

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